くるりさんのシティポップ、文学部男子が考察してみた2

前回の続きである。

早速進めていく。

 

“何はともあれ この街を去った

未来ではなく 過去を漁った

明後日ばっかり見てた君

それはそれで 誰よりも輝いてた

ずっと泣いてた 君はプレデター

決死の思いで 起こしたクーデター

もういいよ そういうの

君はもうひとりじゃないから"

 

 

「俺」はこの街を去ったそうだ。

ここで注目したいのが「未来ではなく 過去を漁った」である。

「俺」は「過去」を壊したが「過去」を漁っている。

このような経験はきっと誰にでもある。過去を捨てたが、過去に何か求めてしまう。

「君」は明後日ばかりを見ていたらしい。「君」は「俺」とは反対に未来を見るタイプだそうだ。しかし「見ていた」と過去形になっている点から、もしかしたら「君」は「俺」の中の過去、あるいは、一部、と考えることもできるかもしれない。

しかし次のフレーズからは若干恋愛的に解釈できる。

「ずっと泣いてた君はプレデター

女性のなき姿は確かに男性の心を捕食するかもしれない。

「クーデター」「もういいよそういうの 君はもう一人じゃないから」

「クーデター」は流れから行くと別れ?喧嘩?であろうか。「君はもう一人じゃないから」の部分であるが、私は、おそらく「俺」は「君」が「俺」といると孤独を感じていたと推測していると設定する。(特に根拠はない)そして「俺」がいなくなることによって逆説的に孤独から解放されるでしょ、と「俺」が解釈しているのではないかと推測する。

 

上海蟹食べたい あなたと食べたいよ

上手に割れたら 心離れない 一分でも離れないよ

上手に食べなよ こぼしても いいからさ

beautiful city  isn't it a pity 路地裏のにゃんこ

beautiful city beautiful city…”

 

 

この部分で語りてが「君」になったと推測する。根拠は2人称が「あなた」になったことと、歌い手が女性になったことである(最初にテクストオンリーで考察するといったが、例外的に介入させて頂く)。

これは去られる側の気持ちではないだろうか。こちら側は「俺」(「あなた」)と一緒にいることを望んでいる。

 

“張り詰めた日々を溶かすのは 

朝焼け前の 君のこころ

両手を広げたら 聴こえてくるよ

外輪船の汽笛 嶺上開花本繻子でこころ包むよ

小籠包じゃ足りない

思い出ひとつじゃ やりきれないだろう”

 

 

ここでまた語りてが変わる。上記と同じ根拠である。

「俺」にとって「君」はやはり思い出ある人で癒しでもあるのだ。

それらを包んでこの「街」を去るということだろう。

ちなみに「嶺上開花本繻子」は「山頂でひっそり咲く花」のことだそうだ。

 

上海蟹食べたい 一杯ずつ食べたいよ

上手に食べても 心ほろ苦い

あなたと食べたいよ 上手に割れたらいいな

長い夜を超えて行くよ

琥珀色の街 琥珀色の街”

 

 

これもまた語りてが変わる。「一杯ずつ食べたい」は今一人で食べている、あるいは食べるしかない状況を暗示している。

「上手に食べても 心ほろ苦い」

素敵な表現である。

「上手に割れたらいいな」

ひとつ前の部分では「上手に割れたら心離れない」だったのが「いいな」に変わっている。心が離れてしまったが故の切ないセリフだ。

 

まとめ 

ここまで私なりの解釈をつらつらとつづった。結論を述べたいと思う。後半はかなり恋愛的要素を念頭に置いて解釈したが、これは「何か変わってしまった環境、関係に違和感を覚え、さよならをする人。そして後に残されたもの、人。」をつづった作品であると解釈する。ここでいう「街」というのは、曲の物語の中では「上海」ということになるのだろうが、私たちがノスタルジーを覚える関係性、場所、環境、すべてに当てはまる。そして「君」も「恋人」だけでなく、過去の自分であったり、パラレルワールドに存在するかもしれない私自身、あるいは環境や街そのものと捉えることが可能かもしれない。これらの必然ともいえる、自然的な別れ、旅たち。とても切ない。

 

あなたはこの歌詞をどう解釈するだろうか。

 

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ノスタルジーを感じる(個人的に)

 

引用文献

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くるりさんのシティポップ、文学部男子が考察してみた

最近くるりさんの『琥珀色の街、上海蟹の朝』という曲を拝聴した。出会ったきっかけは私が最近シティポップっぽい音楽にはまっていて、あさっていたからだ。

この曲めちゃくちゃかっこいい。

くるりさんはほとんど聞いたことなくて、かつて『オレンジデイズ」というドラマの挿入歌で『ばらの花』を聞いたことがある、という程度であった。

ちょっとサイトを見たらくるりさんの中ではかなり異質な作品らしい。

今回はそんな『琥珀色の街、上海蟹の朝』をくるりさんの知識ゼロの文学部男子が考察していきたいと思う。

まず最初に断っておくが、くるりさんのことも、この作品(曲)が創られた背景や、時代のことも、音楽的知識も持ち合わせていないので、ただテクストオンリーでこの曲の考察を進めたいと思う。

 

“ah beautiful city beautifulcity さよならさ マンダリンの楼上

isn't it a pity beautiful city"

 

 

とりあえずここまでで疑問なのは「マンダリン」という単語であろう。

調べたところ中国やベトナムの官氏を指す言葉、あるいは橙色(琥珀色)を指す言葉らしい。後者だろう。そのオレンジ色に輝くビルが立ち並ぶ街にお別れを告げていると推測できる。

 

“目を閉じれば そこかしこに広がる

無音の世界 不穏な未来

耳鳴り 時計の秒針止めて

心のトカレフに想いを込めてぶっ放す

窓ガラスに入ったヒビ

砕け散る過去のやみくもな日々

止まった時計は夜明け前5時

外の空気 君だけのもの”

 

 

トカレフソ連のピストルの名称だ。セーフティーが省略されていて、素人が使うと爆発するものだそうだ。この場面では主人公?語りて?が銃を放ち、過去が砕かれ、外の空気は「君」だけのものだそうだ。語りては過去を壊し、この場所から去るのだろうか、あるいはトカレフの爆発によって彼自身も壊れ、「君」だけになったのだろうか。「君」が何かは定かではない。

 

“吸うも吐くも自由 それだけでありがたい

実を言うと この街の奴らは義理堅い

ただガタイの良さには騙されるんじゃない

お前と一緒でみな弱っている

その理由は人それぞれ

耐え抜くためには仰け反れ

この街はとうに終わりが見えるけど

俺は君の味方だ

beautiful city beautifulcity さよならさ マンダリンの楼上

isn't it a pity beautiful city"

 

 

「吸うも吐くも自由 それだけでありがたい」は前の部分から考えると外の空気についてであろうか。

よくわからない。実際そういうものが蔓延しているという意味ではなく、あくまで比喩的表現としてだが、私はドラックやたばこのことだと連想する。

そのように考えると後の「義理堅い」(口を割らないということ)や「皆弱っている」がつながる。

「この街はとうに終わりが見えるけど 俺は君の味方だ」から推測できるのが、「君」へのヒントだ。逆説からの「君の味方だ」ということは、「君」は「俺」と異なり「街」に居続ける人、あるいは「街」そのもの、あるいは「街」にかかわる何かである。

 

少々長くなってしまったので後半は次回に回したいと思う。

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渋さを感じる写真(個人的に)



引用文献

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを書いてみようと思う。

ブログを書こうと思う。かつて少し書いたことあるが、2個くらい書いて辞めてしまった。しかし今回はしっかり書こうと思う。

基本情報として、私は、某私立大学の学生だ。

学部は文学部。専攻は英米文学だ。

このブログでは私がインスパイアされた作品についてつらつら書いていく。

ジャンルは様々だ。本はもちろん、映画、音楽、ファッション、人、自分が感銘を受けたものを文字として残すとともに、発信することで自身の中により深く落とし込みたいと思う。

また発信することを前提にすることによってインプットの質を高める意図も含んでいる。

初めの一回はこの程度にして次の記事に回したいと思う。

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